レモンティーは、また今度


 俺の名前は、桜崎 鏡一(さくらざき きょういち)。

 都内某所の大学に通う、普通の大学生だ。

 ここ数年の倍率増加の流れにあって、それでもそれなりにランクの高い大学に現役入学できたのは、俺の才能なのか雇ってた家庭教師の才能なのか。

 とにもかくにも、受験戦争に勝ち残った俺の日常は、もったいないくらいに平和。

 高校と比べて授業は少ないし、自分の得意分野の勉強ばっかりやってればそれで良いし。

 残念ながら彼女は居ないが、それなりに割の良いバイトもしてるし、充実感を得られるサークル活動もしていて、学生としては申し分ない生活を送れている。

 ―――カランカラン

 ドアノブに付けられたベルが、優しい音を立てる。

 授業の無い昼間。

 俺は、家から近い、馴染みの喫茶店に顔を出した。

「いっらしゃいませー!・・・って、なんだ、鏡一じゃない」

「なんだは無いだろ。俺だって一応お客様だぜ?」

 この店は、ちょうど俺の家から見て学校との間にある。

 この店でウェイトレスをやってるのは、俺の幼なじみで、名前は薙嵯(なぎさ) アイリス。

 クオーター(ハーフのハーフ)で、名付け親が外国籍の祖父だったために、日本語の苗字と外国語の名前を持っている、俺と同い年の女の子だ。

「そうね。失礼しました。いつもの席で良い?」

「ああ」

「では、こちらへどうぞ」

 店の一番奥。カウンターの脇にひっそりと置かれた二人掛けのテーブル席。

 子供の頃からの、俺の定位置だ。

 俺の家は、両親共に仕事をしていて、しかも結構多忙なので、夕飯までに帰って来れないということが多々ある。

 そんな時、俺は事前にお金を貰っておいて、夕飯を食べにこの店に来ていた。

 だから、この店は俺にとって馴染みが深い。

「では、メニューがお決まりになりましたらお呼びください」

 いつものように、アイリスはテーブルの上にメニューを置いてカウンターの中に下がった。

 客が居ないときは、向かい側の席に座って俺の話し相手になってくれたりもするのだが、今日は俺以外にも客が居るのでそういうことはしないらしい。

 席に座って、俺はいつものように、備え付けのメニューを手に取った。

「うーん、と。今日は何にしようかな」

 この店のメニューは、その辺の喫茶店とほとんど同じだけど、ただ一つ、紅茶だけは他の店と違ってメニューの幅が少ない。

 たいていの喫茶店にある紅茶といえば、ストレートティー、ミルクティー、アップルティー、レモンティーといったところだろうが、この店は、ストレートの他はミルクティーしか置いてない。

 ずいぶん前に理由を尋ねたことがあったけど、「それぞれの紅茶にはそれぞれの意味があるからね」と、はぐらかされただけで、本当の理由は教えてくれなかった。

「ご注文はお決まりですか?」

 呼んでもいないのに、アイリスが俺のテーブルに注文を聞きに来た。

 店内を見回すと、もう俺以外の客は居なかった。

 どうやら、店員モードを止めて雑談モードに入ったらしい。

「じゃあ、ミルクティー」

「茶葉はいかがいたしましょうか?」

 この店では、紅茶の種類が少ない代わりに、茶葉の種類が豊富だ。

 基本のアールグレイやブレックファーストから、ハーブ類のブルーガーデンまで、ありとあらゆる茶葉がある。

 紅茶を頼まれたら、次に茶葉を選ばさせるというのが、この店のスタイルだ。

「じゃあ、ブレックファースト」

「やった! 当たり!」

 そう言って、アイリスは盆の上に乗っていた淹れたての紅茶を、俺の前に置いた。

「・・・またかよ」

 アイリスは、俺が頼む注文を先読みして、俺が頼むと同時に目の前に差し出してくることがある。

 俺が意表をついて、普段なら絶対頼まないようなブラックコーヒーとかを頼んでも、しっかりその通りの物を差し出してくるので、最初のうちはエスパーなんじゃないかと、半ば本気で疑っていたこともあった。

 もっとも、アイリスにとっては、こんなのお遊びで、間違えても合ってても、それでどうということは無い。

 ただ、間違えた場合でも、その間違えたままの物を飲まされる俺としては、迷惑この上ないわけだが。

「座っても良い?」

 鞄から荷物を取り出す俺に向かって、アイリスがそう尋ねてきた。

「うん」

 素っ気無く、返事をする俺。

 アイリスが席に座るのと同じくらいのタイミングで、俺は鞄から荷物を取り出した。

「なに? それ」

 ちゃっかり自分の分もよそって来ていたミルクティーに口をつけながら、アイリスが俺の取り出したものを見て訊いた。

「ああ、これか? 明日までに提出しなきゃいけねえレポートだよ。一週間くらいまえに課題で出されてたんだけど、昨日までスッカリ忘れててさ。ここなら落ち着いてできると思って、わざわざ持って来たんだ」

「ふ~ん。どんなレポート?」

「宇宙光学理論。宇宙空間に関する事象を扱った物を題材にして、何か一つ自分なりに理論を組み立てろって言うレポートだよ」

「へぇ~。なんか大変そうだね」

「そうでもないって。こういうの俺好きだし」

「鏡一、昔っから宇宙とか大好きだもんね。なんだっけ? 将来の夢は、宇宙飛行士だっけ?」

「ああ。とりあえず大学出たらアメリカにでも行ってNASAに入れないかどうか試してこようと思ってんだ」

「ふ~ん。なんか良いね。夢があって」

「まあな。でもそういうお前だって、夢あるだろ?」

「え? なんかあったっけ?」

「ステキな旦那さんと二人でこの喫茶店をいつまでも経営していきたいって、前言ってたじゃんか。あれも将来の夢だろ?」

「ああ、あはは。そういえばそんなことも言ってったっけ」

「誰か良い奴見つかったかよ」

「ううん。さっぱり」

「あっそ。まあ、焦らずゆっくりやったら良いんじゃねえか? 別に期限付きって訳じゃないんだからよ」

「そうね。あっ、レポートやるなら、私邪魔になっちゃうかな?」

「そんなことねえよ。こういうのは考え込むと駄目だからな。話しながらやったほうが、意外とはかどるんだ」

「そうなんだ。じゃあ、最近の大学での話し聞かせてよ。私は高校出てすぐ家業手伝いに就職しちゃったから、実は今でも大学って、ちょっと憧れてるんだよね」

「おう。そんなんで良ければいくらでも聞かせてやるよ。まずは・・・そうだなあ・・・」

 その後、俺はレポートをやる傍ら、アイリスに大学の話を聞かせてやった。



 そして、日も傾きかけた頃・・・。

「終わったー!」

「わー、おめでとー!」

 なんとか、明日までに完成させなきゃいけないレポートを完成させることが出来た。

「あー、すっげーはかどったよ。ありがとな、アイリス」

「どういたしまして。といっても、私は話し聴いてただけだけどね」

「いやでも、仕事あっただろ? 俺の詰まんない話なんか聞いてる暇、無かったんじゃないのか?」

「今日は本当なら私休みの日だから、別に気にしないで良いよ、のど渇いたでしょ? 何か飲む?」

「ああ。じゃあ、何にするかな・・・」

 そう言って、メニューに手を伸ばした瞬間。

「あっ、鏡一。ちょっと良い?」

「ん? どうかしたか?」

「メニュー。私に任せてくれないかな?」

「え? 別に良いけど。どうしたんだよ? 突然そんな」

「ちょっと、ね。じゃあ、ちょっと待ってて」

 そう言って、アイリスは店の奥に引っ込んだ。

「なんだ? 一体」

 多少の疑問を持ちつつも、今までに無かったことだけに、期待をかけて待つ。



 数分後。

 店の奥から、湯気を立てる飲み物と、何やら丁寧に包まれた物を持って、アイリスが現れた。

「はい、お待たせ」

 そう言って、アイリスは俺の前に持ってきた二つの物を置いた。

「なんだ? これ」

「まあ開けてみてよ」

 飲み物の方は匂いで紅茶と分かるが、包まれたこれは、中身を見ないことには何なのか分からない。

 なので、勢いよく開けてみた。

「・・・ん?」

 中から出てきたのは―――。

「・・・チョコ?」

 ハート型の、チョコレートだった。

「これ、なんで・・・って、ああ。今日はヴァレンタインか」

 生まれてこの方、こんな恋人の行事には無縁だったので全く気にかけてなかったが、そういえば今日は2月14日。セント・ヴァレンタイン・デイの日だ。

「手作りだけど。味は保証するよ?」

「おお、サンキュー。俺ヴァレンタインにチョコ貰ったなんて生まれて初めてだ」

 努めて平静を装ってるけど、内心大ハシャギだ。

 すっげー、嬉しい。

「なんかもったいなくて食えねえな」

「ちゃんと食べてよ? せっかく作ったんだからさ」

「分かってるって。でも、ホントありがとな。義理でも嬉しいよ」

「え?」

「ん?」

 疑問の声に疑問の声を返す俺。

 なんとも間抜けな空気が辺りに流れた。

「あの・・・えっと・・・」

 恥ずかしそうに下を向くアイリス。

 訳もわからないまま、俺はアイリスが運んできた紅茶に口を付けた。

「あれ? この味・・・」

 俺のその声に反応して、アイリスが顔を上げた。

「これ、ストレートティーじゃないよな?」

 ハーブともまたちょっと違う味。

「うん」

 やけに香りが強くて、甘い。

「これ、アップルティーじゃないのか? もしかして」

「ピンポーン! 大正解!」

「大正解は良いけど、何でアップルティーなんだ? ここって、アップルティーはやってないだろ?」

「今日の為に買っておいたの」

「なんでわざわざ?」

「それは・・・その・・・」

 また恥ずかしそうに下を向くアイリス。

 なんとなく思い当たった俺は、アイリスに一つ質問をしてみた。

「そういえばさ」

「うん?」

「ずいぶん前に紅茶の意味聞いたことあったよな?」

「あ、うんうん」

「あん時は聞かせてくれなかったけどさ。今も聞かせてくれないか?」

「あ、えっと、今なら教えてあげられるよ」

 どうやら、思ったとおりだったらしい。

「じゃあ、教えてくれよ」

「えっとね、まずストレートティーが、友情とか、円満とか、そういう意味なの。だから英国のお茶会では、ストレートティーを飲んでるんだって」

「へぇー」

「で、ミルクティーが、成長とか、健康っていう意味。牛乳は栄養価が高いから、多分それにあやかってるんだと思う」

「ふむふむ」

「それで、アップルティーは・・・」

「アップルティーは?」

「愛情とか、恋愛とか、そういう意味・・・なんだけど」

 そこまで言われれば、流石の俺でも分かる。

「えっと、つまり、このチョコって・・・」

「うん。本命」

「あー、そうだったのか」

 なんか間抜けな返事を返す俺。

「鏡一。あの、返事は?」

「返事?」

「いや、告白したんですけど、私」

「え? あ、ああ。はいはい、そういうことか」

 返事も何も、断れるわけが無い。

「えっと、こちらこそっていうか、喜んでお受けしますって言うか」

「え? じゃあ、付き合ってくれるの?」

「ああ。これからよろしくな」

「良かったぁ・・・」

「俺みたいなもてない男にチョコ渡して、断られるわけ無いだろ? 何をそんな心配してるんだよ」

「告白って、そういうものよ」

「ふ~ん」

 う~ん。これで俺も彼女持ちか。

 昔からの長い付き合いが、そのまま深い付き合いになるとは。

「・・・あ、そういえば」

「なに?」

「レモンティーはどういう意味なんだ? さっき言わなかっただろ?」

「え? あーっと、その、レ、レモンティーは、また今度ってことで」

「えー? なんだよ、教えてくれても良いじゃないかよ」

「駄ー目っ。まだ教えてあげない」

「なんだよ、それ」

 結局、この後いくら粘っても、アイリスはレモンティーの意味を教えてくれなかった。


 それから、数年後。

 俺は大学卒業後、アイリスと結婚し、今は二人で喫茶店を営んでいる。

「もうこんな時間か。そろそろお店閉めようか、アイリス」

「うん。お疲れ様、鏡一」

 俺は店のドアの外に掛けてある『営業中』と書かれた札を裏返し、『準備中』を表にして、ドアに掛け直した。

「お疲れ様」

「おう」

「でもさ、これで良かったの? 鏡一」

「何が?」

「だって、鏡一には宇宙飛行士になるっていう夢があったんでしょ?」

「ああ、あれか。あれはもういいんだ。元々宇宙に行ってみたいって、ただそれだけの理由だったし。一生かけてでもなりたいって思うほど真剣な夢でもなかったしな。今は喫茶店やってるほうが楽しいから、良いんだよ」

「そっか。はい、これ。今日もお疲れ様」

「おう、サンキュー」

 一緒に喫茶店をやるようになって以来、一日の仕事納めにアップルティーを飲むのが習慣になってる。

「いただきます・・・って、あれ? これアップルティーじゃないじゃないかよ」

 アップルティーに比べて、甘さが控えめでスッパイ。

「これ、レモンティーだろ?」

「うん。さっき買い出し行った時に買ってきたの」

「なんでまた?」

「ずっと前に教えなかったレモンティーの意味、教えてあげようと思って」

「へえ。教えてくれよ」

 俺はレモンティーをすすりながら、アイリスの話をうながした。

「レモンティーの意味はね。結婚と、あともう一つ」

「もう一つ?」

「出産って意味があるの」

「ふ~ん?」

 レモンティーを飲みながら、俺は今教わった意味に付いて考えてみた。

 アイリスは、告白の時に愛情を意味するアップルティーを俺に淹れてくれた。

 ということは、レモンティーを淹れてくれたってことは・・・結婚の申し込み?

 いや、結婚はもうしてるよな。

 ってことは、もう一つの意味の方か。

 ・・・と、なると?

「もしかして・・・」

「やっと気付いたの? 思ってたより鈍いんだね、鏡一って」

「マジか!? うっそだろ、いつのまに?」

「昨日調子が優れなくて病院行ったでしょ? その時に分かったの」

「へぇ~。じゃあ、俺もうお父さんかよ」

「そういうこと。まだ少し先の話だけどね」

「やられた。まさかレモンティーにそんな意味があるなんて・・・」

 こんな感じで、俺は日常を過ごしてる。

 なんだかんだあっても、俺の生活は、相変わらず平和。

 たぶんきっとこのまま、変わらぬ日々を過ごして行くんだと思う。

 それが、俺にとっての、幸せな暮らしだから。



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